ここでは家づくりの想いを話させてください。
私は当時90年続く地場工務店の長男として生まれました。
じいちゃんが大工、親父も大工と設計・現場管理として働いていました。
遊び場は作業場。
廃材を使っての秘密基地造りはトータル30棟くらい作っていたと思います。
ほったて小屋でしたのですぐに壊れていました。
ところがある日大工さんから「筋交い入れてみな」と声を掛けてもらい入れてみたら、あら不思議。
その小屋はちょっとやそっとでは倒れなくなりました。
「大工さんすげ~!」と今でも記憶に残っています。
小学校4年生の文集に「将来大工になる」と書いてあったのでその頃から
「齊藤建設の4代目になる」と意識していたんだと思います。
サッカーが私に教えてくれたこと
そんな私も小学校2年生からサッカーを始めます。
強豪チームに所属したこともあり万年の補欠。
時にはメンバー外になりスタンドで応援したこともありました。
当時の監督にはビンタされた事もありました。
今となっては貴重な経験で、今振り返ると大変複雑ですが感謝しかありません。
当時は、その監督が自分の人生を変えるような存在になるとは、全く想像もしていませんでした。
そのくらいへたくそなサッカー選手でした。
それでもなんとか高校卒業までサッカーを続け、
1年の浪人を経て、進学する道を選ぶことができました。
この時、自身が成長したサッカーチームを訪れて挨拶しました。
そこで私は予期せぬ状況下でコーチ役を担うことになりました。
この時点では、モチベーションが最低の状態でした。
しかし一度始めるとすぐに没頭してしまいました。
ここでの経験が自分を大きく変えていきます。
建築の勉強を一応はしていましたが、若き情熱の半分はコーチングに注ぎました。
監督からは“指導”について、そして“育てる”事について、
そして“想いを繋ぐ”と言うサッカーとはかけ離れた、しかし物事の本質を教えて頂きました。
沢山の仲間、そして教え子、その親御さんに育てられ
「指導」「育成」「想い」と言う考え方をとことん身に着けました。
『仕事』と『育成』の狭間
大学を卒業と共に親父の齊藤建設に入社します。
当時はまだ個人事業主でしたが、多くの大工さんが働いているのを見て、再び親父の素晴らしさを実感しました。
多くの現場を管理しながら、一回で一級建築士の資格を取得しました。
1級建築士としての設計事務所を設立します。
この頃、現役でサッカーをしていましたが日々の仕事がますます忙しくなり、サッカーの指導から離れる可能性が高まっていました。
しかしサッカーの場からはどうしても離れたくなく試行錯誤をしていました。
その過程で、責任の重みが次第に増していく仕事が増えていきました。
『仕事』『育成』この2つの概念が重なる事が難しく、
親父に対しては言葉にできず、こっそりとサッカーを続ける状況にありました。
「自分は間違っていない」と信じながら。
そんな中、親父のセカンドライフが始まっていきます。
齊藤建設から徐々に遠さがっていきます。
そして平成29年5月に株式会社齊藤建設を発足。
自分が代表取締役に就任する事となりました。
このあたりから私の物語が一つになり始めました。
会社の経営の全責任を負うようになった時にサッカーで学んだ育成の心が合わさってきました。
家づくりもサッカーの指導も、同じ想いのある仕事だったのです。
家づくりで暮らしを豊かに
家づくりと言う仕事をしながら現在街づくりにも挑戦しております。
自分をここまで育ててくれたサッカーで街を『豊か』にしていきたいのです。
この『豊か』という概念は家づくりの中で育まれました。
『家づくり』と『サッカー』、この両方の領域を行き来しながら、
地域のニーズをしっかり考えなければならないと感じました。
自分の尊敬する監督も同様の価値観を持っていたことから、
その考え方に近づいたことに喜びを感じています。
この経験が齊藤建設の社内理念『暮らしを豊かに』に繋がっていったのだと思います。
より良い住まい方を提供することが自分の存在意義だと信じております。
これからも引き続き勉強は続けて行きます。
色々な仲間と切磋琢磨しながら。
長文になりましたが、私の経験を書かさせて頂きました。
ありがとうございました。